私はなぜ「ありがとう」と言われたいんだろう。

「ありがとう」

子供の頃から聞き慣れた言葉だ。

相手に何かして貰ったり、気遣いをして貰ったら礼儀として使う言葉だと、親から教えて貰った記憶がある。

世の中の認識もだいたいこんな感じじゃないだろうか。

私自身、気遣って頂いた方々には、感謝の気持ちをなるべく伝えるようにしてる(忘れる時もある・・・汗)。

しかし最近。自分なりに気遣ったつもりでも「ありがとう」と言われなかった時は、ほんの少し寂しい気持ちを感じる時がある。

そこで思った。

「私は感謝されたくて、相手を気遣うことをしていたのだろうか」

と。

感謝は求めた瞬間、報酬に早変わり。
気遣いや優しさから一転してそれはもう、取引になってしまう。

だから感謝を求めちゃいけない、というのは頭で分かってる。でも感謝されなくても良いけど、ありがとうとは言われたい。

何が違うんだ?と思われてしまうかも知れないけど、私の中では違うのだ。

そう悩んでいたんだけど、最近ようやく分かった気がする。

それは自分なりに考えた気遣いが相手に届いたか、確認したかった。
自分の行動が相手にとって良いこととして届いたのか、それだけを知りたかったんだ。

それを知れる言葉として「ありがとう」を求めていたみたいだ。届いたなら、自然と「ありがとう」って口に出ると思うから。

出てこなかったら、届かなかった・・・という可能性はあるかなあと。ただ言いづらいだけの人もいるだろうけども。

だから寂しかったのかなって、ようやく理解した。
礼儀として長く使っていた言葉に、ようやく意味を感じた瞬間だった。

「ありがとう」とは私にとって、相手側に感謝を伝える言葉であると同時に、伝わった事を確認する言葉でもあったんだなと。

ただ「ありがとう」を求めると、これもまた取引になってしまうので求めないけどね。

私の中の「優しさ」「気遣い」というのは、おそらくただの自己満足。それでいい。
だけど「ありがとう」という言葉を伝えられた方が、なんだか安心するのだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました